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ディレクターズ・ノート 004
埋め込まれるアート 2002/09/17

ピーター・ガブリエルに『イヴ』というCD Romの作品がある。はじめて帯広競馬場の厩舎ゾーンに足を踏み入れたとき、私に見えたヴィジョン、つまり幻影はこの『イヴ』の世界だったし、だから『デメーテル』という展覧会の、少なくとも私にとっての原初風景となっている。
『イヴ』はひとつの旅だ。四つの世界からなり、そのそれぞれにピーター・ガブリエルの曲の一曲と、ひとりのビジュアル・アーティストが対応している。草間弥生の「泥」の世界、ヘレン・チャドウィックの「庭」の世界、キャシー・ド・モンショウの「利得」の世界、ニルス=ウドの「楽園」の世界。『イヴ』は楽園を去ったイヴを探し求めるアダムの旅であり、二つの性の再会の物語でもある。
ここで四つの世界と言ったけれど、これらは別々のものではなく、同じ場所の四つの様相であり、つまりランドスケープの時間的変化にほかならない。360度の眺めがあり、その眺めが、私たちの旅とともに変化していく。一面の泥の世界から始まり、そこにさまざまな植物が生え始め、「庭」の世界が生まれ、次にはそこが工業化されて「利得」の世界に変わり、ある種の破局が訪れて再生、「楽園」に戻る。『イヴ』はゲーム仕立てで、旅は謎に満ちている。プレイヤーはアダムとともにランドスケープの中を歩き回り、数々の不思議に遭遇する。そこに現れる謎を解き、いろいろな人の言葉に耳を傾け、ランドスケープに隠された各アーティストの「アートのかけら」を拾い集めていかないと、次の世界に行くことはできない。謎を解くたびに新たな門が開かれて、世界の様相は刻々と変わっていく。
ここで面白いのは、自分がランドスケープに働きかけないと、つまり世界に埋め込まれた数々の謎を探しあて、それを解いていかないと、世界は何も変わらないということだ。「私」が世界に働きかけ、その変化した世界が、今度は「私」に働きかける。その精神とランドスケープの終わりなき相互作用のプロセスが、旅そのものとして体現される。
私は競馬場の風景そのものに『イヴ』の世界を重ねあわせ、『デメーテル』という現代アートの展覧会を、ひとつの旅として設計したいと考えた。競馬場の中に作品が点在し、『デメーテル』はそれらを巡り歩く旅となる。
あるランドスケープにアートを埋め込む。たしかに展覧会としては不親切だろう。陳列された作品を順番に見ていけばすむわけではなく、観客は自ら、作品を捜していかねばならないからだ。しかも競馬場にはそもそも、魅力的な「オブジェ」がそこいら中に点在しているから、アーティストたちも気を抜くことはできないし、逆にいえば、アートとは何かを問いなおすことにもなるのではないだろうか。
(芹沢高志)