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『デメーテル』を終えて
2002年9月23日、『デメーテル』は無事終了しました。
まず、この展覧会に関係してくれたすべての方々、会場に足を運んでくださった観客の皆さんや内容に関心を持ってくださった方を含め、すべての方に深く感謝したいと思います。『デメーテル』はみんなでつくったプロジェクトなのだという思いを、今、私は強く噛みしめていますから…。
考えてみれば、『デメーテル』は不思議な展覧会でありました。はじめはもっと、いわゆる現代アートの展覧会「らしく」構成しようと考えていたのです。しかし、帯広競馬場というサイトが見つかった時点で、すべては変質していきました。
もちろん、『デメーテル』は競馬場を見せるための展覧会ではない。かといって、参加してくれたアーティストたちの作品を純粋に鑑賞するためだけの装置でもなくなっていきました。多少不謹慎に聞こえるかもしれませんが、帯広競馬場というサイトと付き合っていくうちに、私には、これが「現代アート展」であるかどうかということさえ、あまり重要なこととは思えなくなっていったのです。そして、これがなんだという先入観さえ捨ててしまえば、ここに出現した実に魅力的な風景を、心の底から楽しむことができました。
これは「計画」に対する私自身の信念に関係するので、責任の大部分は総合ディレクターとしての私に帰することではありますが、『デメーテル』ははじめから完成形を見せ、確固とした運営マニュアルにのっとって運営される「イベント」ではありませんでした。設営時に台風が来て蔡国強のUFO浮上を断念するなど、競馬場という、美術のための空間ではない場所を使うこと、それもほとんど屋外という条件、そしてこの夏の思いもかけない気象なども作用して、『デメーテル』は会期中、刻々とその姿を変えていきました。子供の入場者が増えてくれば、子供用の鑑賞プログラムが現場で考案され、動線の改善要求が出れば鑑賞動線を作り直す。ハード、ソフトともに、73日間、『デメーテル』は変化し続けました。それは大変な作業ではありましたが、事務局やサポートスタッフの皆さんは、こんなディレクションにも精一杯応えてくれました。それが本当にうれしかった。
たしかに展覧会『デメーテル』は終わりました。カタログに寄せた文章に私自身書いたように、それはひと夏の幻として、夢のように消えていきました。今、競馬場は何事もなかったように、もとの姿に戻っています。
しかし、川俣正の作品ではないけれど、私は今、『デメーテル』の不在感を強く感じています。いるのにいない、いないのにいる。展覧会『デメーテル』は終わったのに、ここではないどこかで、『デメーテル』がまだ続いているような想いに駆られるのです。
もしかしたらこの不在感こそが、『デメーテル』の最大の置き土産かもしれない。というのも、今、『デメーテル』に関与した若い方たちの中から、この不在感をバネにして、いろいろな動きが出始めているからです。街が変わっていく、新たな予感を確かに感じるのです。
とにかく、加わってくれたすべての方にありがとう。
『デメーテル』が何かの終わりであり、同時に何かの始まりであることを願って。
とかち国際現代アート展『デメーテル』総合ディレクター
芹沢高志 |
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