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ディレクターズ・ノート 003
なにかが帰ってくる 2002/04/24

はじめてそこを訪れたときから、帯広競馬場の奇妙な不在感には惹かれてきた。ばんえい競馬開催時期以外、スタンドのある巨大なビルは場外馬券売り場として使われているのだが、そこに流れる競馬の実況中継は臨場感があって生々しく、思わずトラックの方を見てしまう。しかし、この音は衛星を通して運ばれてきた、ここではない北海道のどこかの競馬場を走る馬たちの奮闘であり、人々の歓声なのだ。帯広競馬場のトラックに馬の姿はなく、ただ、のどかな風景が広がる。
いるのにいない。いないのにいる…。川俣正もこの不在感、空虚感に当初から反応していた。悪戯っぽく笑みを浮かべ、「『デメーテル』号っていう馬がいてもいいですよね」などと、とぼけたことを言う。「そいつ、デメーテルの馬で、北海道のいろんな競馬場で活躍してるんですが、デメーテルの期間中、帯広競馬場にはいないんですよ。みんな、ここにはいない馬のことを応援している。いるんだけど、ここにはいない。ここにはいないんだけど、どこかにいる…」。

2001年11月21日、飛行機の最終便に飛び乗る直前、時間をつくって競馬場に立ち寄ったことがある。もうすぐばんえい競馬が始まる時期で、馬たちや厩務員の家族が競馬場に到着していると聞いたからだ。
たしかに、頭ではわかっているつもりだった。しかし、そのときその場の光景に出くわして、私は思わず自分の目を疑い、極度に気持ちが高ぶった。そう、競馬場の厩舎地区に「町」が生まれていたのだ。
街灯がともっている。いつもはシャッターが下りた、何の目的かもわからぬプレハブだが、今は入り口に暖簾がかかり、食堂になっているじゃないか…。隣のプレハブはコンビニだった。
各厩舎には、○○厩舎と、個人の名を冠した「表札」が掲げられ、馬たちの気配を感じる。犬が吠え、風呂上りか、頭にタオルを巻いた、ピンク色の分厚いバスローブ姿の女が道を横切る。通りには、馬を運んできたのだろう、巨大なトレーラーが何台も止まっていて、その強烈なヘッドライトの光の中、人々のシルエットが行き交っていた。
要するに、厩舎地区は生き返っていた。まるで魔法でもかけられたように、いつもはがらんと空っぽなゴーストタウンに命が吹き込まれ、今は生き生きと生きているのだ。
このギャップがあまりにも鮮烈だから、いつもの競馬場には、より空虚が漂うのかもしれない。町そのものが、あるのにない。ないのにある。今こうして目の前にある賑わいが幻影のようにも思え、自分がパラレルな世界に迷い込んだような気分に襲われた。
この、町が一瞬に生まれ出る不思議さを話したところ、ある人は巡礼地でもそういうことが起こりそうだと言い、なるほどと思う。
この現象を「再生」と呼ぶこともできるかもしれないが、どうもピンとこない。むしろ「帰還」だ。「なにか」がここに帰ってくる。「降臨」と呼んだらあまりにも大袈裟だが、一年に一度、なにかがここに帰ってくる。ちょうど季節が帰ってくるように。

帯広競馬場には、こうした帰還を常に予感させるポテンシャルとしての「不在」が漂っており、そのことが大きな魅力であるように思う。つまり、それが、この地にある種の聖性を与えているのだ。
(芹沢高志)