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ディレクターズ・ノート 001 競馬場で
蔡國強が帯広競馬場を見つけたのは、2001年4月2日のことだった。そのころ私は、『デメーテル』展の展開場所をどこにするのか真剣に悩んでいて、いくつかの候補地に眼はつけていたものの、もひとつ納得のいくところまではいっていなかった。サイト・オリエンテッドなインスタレーションを考える以上、場所は大きな問題だった。 もちろん、帯広に競馬場があることは知っていた。しかし、競馬場といったら年中、競馬が開催されているところ。展覧会が入り込む余地などまったくないと、端からあきらめていたわけだ。市長を表敬訪問したあと、展望の利く市役所の上階ロビーで、蔡があそこは何かとみんなに問う。ああ、あれは競馬場だよというわけで、とにかく関係者みんなで行ってみようということになった。 ところが、こうして何気なく訪れた競馬場は、不思議な雰囲気に包まれていた。競馬新聞のスタンドや予想屋のブースの前を通り、ゲートを抜け、巨大なスタンドの方に歩くのだが、人がいない。スタンドも無人だった。今日は休みなんだと勝手に決め付けるが、どうも様子がおかしい。ファンルームという部屋があり、数人の男たちが食い入るように、テレビ画面を見つめていた。どうやら、どこかの競馬が中継されているようだった。 狐につままれた気分になりながら、さらに西側の厩舎地区に行く。しかしここも無人で、ただ寂しげにマンサード様式の厩舎が連なっている。やっと人影を見つけ、近づくと、馬が5頭、そして初老の男がいる。おそらく彼の息子夫婦だろう、若い男女が馬の世話をしていて、その横では、3人の子供たちが遊んでいた。馬たちは「ばんば」。ブルトン種と掛け合わされた、使役用の巨大な馬だった。 馬はこれだけかという質問に、初老の男はこう答えた。うん、数日前まで700頭ほどいたんだが、もう旭川の方に行ってしまったよ。自分たちももうすぐ移るんだ。 彼の説明を聞きながら、やっと状況を理解しはじめる。ここではすでに普通の競争競馬の開催はなく、北海道特有の「ばんえい競馬」が冬に開かれるだけだった。彼ら馬の世話役たちは、馬とともに、家族で北海道内を移動していく。「ジプシー競馬」という呼び名もあるのだそうだ。ああ、そういう生活もあるのかと、彼らの顔をあらためて見れば、そこにはノマドたちに共通する、飾り気のない誠実な微笑みが浮かんでいる。 そして、ばんばの眼だ。人の心を見透かすように、彼らは眼を剥いて私を見つめる。馬は不思議な生き物だ。特にこの巨大なばんばたちを前にして、私は彼らに神々しさを感じた。さらに奥の方に歩いていくが、すでにみな、この風景に不思議な力が宿っていると気付き始める。同行した帯広生まれの誰もがみな、昔の日々を思い出しているようだった。まだ雪が残る荒涼とした風景だが、ここには昔の帯広の面影が今も残っているのだろう。しかしそれは、帯広生まれでない私にも、理解できる感情だった。この湧き上がる懐かしさは何なのだろう? 私はこのとき、この場所で『デメーテル』を展開しようと心に決めた。(芹沢高志) |
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